関西では誰もが知っている大物司会者のやしきたかじんさんの弟についてみていきましょう。
目次
やしきたかじんの家族構成
引用:毎日新聞
やしきたかじんさんの弟についてまとめていくのですが、まず最初に簡単に実家の家族構成だけ説明させてください。
- 父親:権三郎(ごんざぶろう)さん
- 母親:家鋪光子(やしきみつこ)さん
- 兄:家舗秀王(やしきひでお)さん
- 弟(三男):家舗良行さん
- 弟(四男):家鋪渡(やしきわたる)さん
弟で三男の家舗良行さんの名前だけ読み方はわかっていないですが、「よしゆき」ではないかと言われています。
実家の家族構成がわかったところで弟について詳しく解説していきます。
やしきたかじんの弟(三男)の家舗良行について
引用:大阪体育大学同窓会
先ほど記述した通りやしきたかじんさんは4人兄弟の次男で弟は2人います。
2人の弟の内、4歳年下で三男の家舗良行さんのプロフィールを紹介。
- 名前:家舗良行(やしきよしゆき)
- 生年月日:1953年生まれ
- 年齢:2024年11月21日現在の年齢は71歳
- 職業:学校教師
基本的にやしきたかじんさんの実家の家族の写真は残念ながら公開していないものの、弟の家舗良行さんらしい人物の写真が見つかりました。
兄のやしきたかじんさんに似てますね。
公立小学校と中学校の校長
引用:此花区
ネットの情報によると弟は公立小学校と中学校の校長先生をしていたと言われています。
弟は2007年には中学校の校長をしていたということがわかっていますので、それ以前に小学校の校長をしていたと思われます。
どこの中学校で校長をしていたのかというと、大阪市此花区の人事異動ニュースがあり現在わかっている学校は2つあります。
- 大阪市立春日出中学校
- むくのき学園 大阪市立啓発小学校 大阪市立中島中学校
の以上の2つの学校です。
大阪体育大学同窓会「體志会会長」
校長先生として仕事をしていく他にも、第7期大阪体育大学同窓会「體志会会長」も勤めています。
「體志会」というのは、昭和63年2月6日に設立され、「大阪市の中学校教育に関わる、大体大卒業生同士の親睦を図り、学校教育の体育的課題の研究や、併せて各々の繋がりを深めていこう」を、当初の目的として発足したそうです。
中学校の校長であった弟の家舗良行さんが参加するのもうなづけますね。
今現在も「體志会」は続いており、教育について語り合っているのでしょう。
やしきたかじんの弟(四男)の家舗渡について
引用:テレビ大阪
やしきたかじんさんの6歳年下で一番下の弟です。
- 名前:家鋪渡((やしきわたる)
- 生年月日:1955年生まれ
- 年齢:2024年11月21日現在の年齢は69歳
- 職業:会社社長
やしきたかじんさんのもう1人の弟の名前は、家鋪渡(やしき・わたる)さんは関西大学社会学部を中退し、兄のやしきたかじんさんの影響で音楽のプロを目指しますが、兄の歌を聞いて、
「自分とは格が違う」と夢を諦めたそうです。
その後は1977年に父親が経営するステンレス会社に入社します。
ただ、1994年、会社は倒産しますが、スポンサーが現れ『岸和田ステンレス株式会社』として再建し、現在も会社経営しており、社長を務めています。
元々、長男の家舗秀王(やしきひでお)さんが社長を務めていたのですが、今はもう亡くなっています。
過去にはテレビ番組「ねじの世界」に出演しております。
やしきたかじんの家族関係を弟が暴露!
引用:文春オンライン
やしきたかじんさんは学生時代にテレビで父親に勘当されていた話をしたことがあり、それ以降実家に帰れていないと話していたことがあります。
父親との確執と勘当
父親はパチンコ店や社員400人をかかえるステンレス会社の社長などを務めていました。
そのこともあり、息子のやしきたかじんさんに実業家として後を継いでもらおうと思っていた時、当時桃山学院高等学校に通っていたたかじんさんは新聞記者に憧れ、新聞部に所属し、朝日新聞社主催の全国新聞コンクールに入選もしていました。
それと同時期に同級生の小谷由紀夫が作詞、たかじんが作曲した「コーヒーインタイム」が、NHK『あなたのメロディー』に採用され、ザ・スパイダースをバックに歌手の奥村チヨさんが歌いました。
そのことがきっかけで大学に進学し、仮面浪人をしていた時、
父親に「将来は新聞記者か音楽家になりたい」
と相談したところ、父親は自分の会社に入れる予定だっため激怒しそれ以降勘当することになったそうです。
勘当したあとは通っていた桃山学院大学経済学部に父親が退学届を勝手に出したそうです。
そのあと一度家に帰ったところ母親の家鋪光子さんは迎えてくれたのですが、父親が「家に入れるな」ということで完全に親子関係は断絶します。
父親・母親・兄のお金をたかじんが出す
実家との縁が切れたやしきたかじんさんはその後、歌手活動をし人気になり、司会者としては『浪速の視聴率男』といわれるほど大物になりました。
家族と疎遠になりますが関西の顔になったやしきたかじんさんは実は家族思いだったことを弟の家舗良行さんが2014年1月3日にやしきたかじんさんが亡くなった後、
2015年2月3日に行われた「やしきたかじんを偲ぶ会」で挨拶で兄について
「親父、お袋、長男の入院、葬儀の費用、すべてたかじんが出してくれました。
『なかなか家に帰られへんから、お前らの金の面倒はすべて見る』と…。
表では疎遠的な形でものを言うんですけど、非常に親族を大事にしてくれました。
そういったことも、この場でわかっていただきたい」
と話しています。
男としてカッコイイですね。
一方的に勘当されたのに、最後まで父親と母親や兄弟の面倒を見るなんて、すごいと思います。