【バツあり同士の再婚】ミッキー吉野の前妻は2人の離婚理由。妻の吉野祥江は元ファン

ミッキー吉野さんは、ゴダイゴのリーダーとして広く知られる音楽家であり、その活動は現在も非常に活発です。

彼は4歳のときに、クラシックピアノを学び1971年には、スティーブ・フォックスさんと共に「サンライズ」というバンドを結成し、その後バークリー音楽院に留学。

バークリー音楽院は、ジャズや現代のアメリカ音楽、商業音楽などを専門とする世界有数の音楽大学です。

数々の名曲を世に送り出してきた一方で、私生活でも再婚し、現在の妻と共に暮らしています。

そんなミッキー吉野さんの現在の妻と離婚した2人の前妻についてみていきましょう。

 

ミッキー吉野の2人の前妻について

ミッキー吉野さんは現在の妻の大内祥江さんとは再々婚で、それ以前に2人の前妻がいました。

どんな人と結婚していたのか調べても2人の前妻は一般人のため、名前や顔画像、また職業など情報がほとんどありません。

ミッキー吉野さんと同じく音楽関係者の可能性は高いとネットでは言われていますが、その真意はわかっていません。

ですが2人目の妻との離婚時期についてはわかりました。

  • 1人目の前妻と結婚→離婚(いつか不明)
  • 2人目の前妻と結婚→は2006年に離婚

今わかるのはこのくらいです。

 

前妻との離婚理由

あまり情報がないミッキー吉野さんの前妻ですが、1人目の前妻と離婚したのはこの時期ではないかという推測はできます。

それは1992年にミッキー吉野さんが覚◯剤使用容疑で逮捕されているからです。

通常結婚していてパートナーがそのような状況で逮捕されると離婚しますよね。

よって1人目の妻とは1992年に離婚した可能性が高いと思われます。

 

前妻との子供はいるのか

ミッキー吉野さんは2度離婚してますが、前妻との子供がいたかどうかは判明していません。

今後、SNSやテレビ出演などで話すことがあればわかることですね。

 

【バツあり同士の再婚】ミッキー吉野の妻の吉野祥江について

 

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ミッキー吉野さんと再婚した妻で油絵画家の吉野祥江さんのプロフィールをご紹介。

  • 名前:吉野祥江(よしのさちえ)
  • 旧姓:大内祥江(おおうちさちえ)
  • 芸名:ミニー吉野(結婚を機に改名)
  • 生年月日:1971年1月18日生まれ 53歳
  • 出身地:東京都世田谷生まれ
  • 学歴:2007年弘益大学絵画科卒業 , 韓国, (Hong-Ik University)、2005年フランス、Ecole des beaux artsへ交換留学
  • 結婚歴:2005年に韓国人夫と離婚

ミッキー吉野さんが現在の妻、吉野祥江さんと結婚したのは2007年10月のことです。

祥江さんは19歳年下の油絵画家で、結婚当時、彼女は36歳、ミッキーさんは54歳でした。

この結婚は、彼にとっても彼女にとっても再婚であり、彼らは共にバツあり状態でした。

結婚後、祥江さんは「ミッキー・ミニーのように世界中から愛されるように」という願いを込めて「ミニー吉野」と改名されました。

このユニークで愛らしい名前は、夫婦の絆と新しい人生への希望を象徴しています。

結婚式は2007年10月8日、東京の南青山にあるル・アンジェ教会で行われました。

当時、ミニーさんは妊娠していませんでしたが、2人は多くの祝福を受け、新たな生活をスタートさせました。

この結婚は、単なる夫婦の関係にとどまらず、芸術や音楽を通じて共に成長し合うパートナーシップとして、多くの人々に愛されています。

そんな現在は幸せな2人で油絵画家として活躍している妻の吉野祥江さんですが、実は過去に絵を描くことを諦めていた時があったのです。

 

妻の吉野祥江の倒産した過去の壮絶な生い立ち

 

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吉野祥江さんは、画家としての夢を追い求める中で、数々の挫折と挑戦を経験しました。

彼女は東京芸術大学の絵画科を目指して5度も受験に挑みましたが、すべて不合格に終わります。

特に、3浪目の時には、家族の経済状況が悪化し、父親の会社が倒産してしまい、一家は解散せざるを得ませんでした。

それでも、彼女はあきらめず、働きながらお金を貯めて受験を続けましたが、結局その夢を断念せざるを得なかったのです。

その後、彼女は就職し、そこで出会った韓国人男性との縁で韓国に渡ります。

しかし、異国の地で言葉も通じず、知り合いもいない中で、彼女は孤独感に苛まれることになります。

そんな彼女を再び絵に向かわせたのは、当時の夫の

「もう一度絵を描いてみたら?」

という言葉でした。

近くの絵画教室に通い始めたところ、教室のおばちゃんたちから

「あなたはここにいるべき人じゃない。大学に行きなさい」

と励まされ、再び絵に対する情熱を取り戻します。

2003年、彼女はソウルの弘益大学(ホンデ)の絵画科に合格し、成績優秀者として注目されました。

そして、2005年にはパリ国立美術学校の油絵科に留学する機会を得ます。

この時期こそが、彼女が本格的に画家としての夢を追い始めた頃でした。

しかし、再び転機が訪れます。

夫の中国・天津への転勤が決まり、同行するように求められましたが、彼女は絵を続けたいという強い思いから、大学院進学の道を選び、中国での生活では自分のやりたいことができないと感じていたため、離婚を決意しました。

元夫の名前や顔画像は残念ながらありませんでした。

2007年に弘益大学を卒業した彼女は、大学院には進学せず、日本に帰国します。

その背中を押したのが、ミッキー吉野さんの「日本に帰ったほうがいい」という助言でした。

彼女の人生におけるこの選択は、ミッキーさんとの運命的な出会いと結婚へとつながっていきます。

 

ミッキー吉野と吉野祥江の運命的な馴れ初め

 

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ミッキー吉野さんはこれまで3度も結婚されています。

ミッキー吉野さんが現在の妻であるミニー吉野さんと結ばれた経緯は、まさに運命的な出会いといえます。

彼がミニーさんに一目惚れしたのがきっかけで、2人の関係が始まりましたが、その当時、彼らは共に結婚していたパートナーがいました。

いわゆる同時略奪婚ですね。

お互いに離婚歴があり、その後、再び結ばれたという特別な背景を持っています。

ミニー吉野さんは、現在も油絵画家として活動しており、「ミニー吉野展」を開催するなど、積極的に作品を発表しています。

彼女はミッキー吉野さんより19歳年下で、当時36歳という若さでありながら、その才能を存分に発揮しています。

 

中学生時代からのファン


引用:オリコンニュース

ミッキー吉野さんと吉野祥江さんが初めてしっかりと顔を合わせたのは、1984年のファンミーティングの時でした。

当時中学生だった妻の吉野祥江さんはミッキー吉野さんの大ファンでした。

しかし、彼女が本格的にミッキーさんと接触するようになったのは、その後のことです。

2000年には、ミッキーさんが運営していた個人サイトのオフ会で再び顔を合わせました。

この時、ミッキーさんはミニーさんに強く惹かれ、「彼女の絵を見たい」という思いが芽生えました。

その後、2006年にゴダイゴが再始動する中で、ミッキーさんはコンサートで使用するためにミニーさんの絵を借りたいと考え、彼女に直接連絡を取ります。

彼はソウルにあるミニーさんの大学まで飛び、彼女の作品に魅了され、その後、日本に帰国するように彼女を説得しました。

ミニーさんもまた、ミッキーさんの「ひらめき」に対する信頼から、日本に戻ることを決意し、2人は同年10月に結婚しました。

ちなみに、2人が結婚して初めての夕食は「吉野家の牛丼」でした。

「吉野家に入る」という言葉に掛けて、「吉野家(よしのや)にご挨拶しよう」とユーモアを交えたエピソードも、彼らの特別な絆を象徴しています。

 

ミッキー吉野と吉野祥江に子供はいない

 

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ミッキー吉野さんと吉野祥江さんの間に子供はいないと思われます。

結婚当時の年齢はミッキー吉野さんが54歳、吉野祥江さんは36歳です。

子供を出産しようと思えばできましたが、もしかすると2人は仕事に集中するために子供を作らなかったかもしれません。

これからも病気もなく健康で夫婦仲良く幸せに過ごしてほしいですね。

最後までお読みいただきありがとうございます。

ミッキー吉野の実家の場所についての記事はこちら↓

ミッキー吉野の実家の場所は横浜市磯子区にあるひばり御殿の真下だった

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