日本を代表するロックバンド「安全地帯」のボーカルとして、圧倒的な歌唱力を誇り、俳優としても数多くのファンを魅了してきた玉置浩二さん。その輝かしいキャリアと同様に、彼の私生活も注目を集めてきました。特に、恋愛遍歴は話題に事欠きません。
玉置浩二さんは、これまでに5回の結婚歴があり、その中には事実婚の関係も含まれています。現在の妻である青田典子さんとの関係は特に有名で、二人はとても仲が良く、愛にあふれたエピソードが絶えません。青田さんとの出会いや結婚の経緯、現在に至るまで、玉置さんにとって彼女はまさに運命の女性と言えるでしょう。
しかし、青田典子さんにたどり着くまでの道のりは平坦ではなく、彼はこれまでに婚約破棄を入れると4回の離婚を経験しています。また、結婚には至らなかったものの、真剣に将来を考えていた女性も存在しました。これまでの彼の人生は、恋愛においても多くの経験を重ねてきたことがうかがえます。
今回は、そんな玉置浩二さんの歴代の妻たちとの関係を振り返り、その波乱万丈な恋愛模様をお伝えします。
目次
玉置浩二の配偶者一覧!年代別時系列まとめ
玉置浩二さんは昔からモテモテで5回の結婚歴があります。
まずはその相手と年代をご覧ください。
名前 | 結婚期間 |
一般女性 | 1983年〜1986年 |
薬師丸ひろ子 | 1991年〜1998年 |
安藤さと子 | 1999年〜2007年 |
石原真理子 | 2009年(事実婚) |
青田典子 | 2010年〜2024年10月08日現在も継続中 |
そうそうたるメンバーで、いつかドラマ化しそうな結婚歴です。
玉置浩二さんはデビューしてから独身期間の方が少ないですね。
さてそれでは1人ずつ、結婚の馴れ初めや離婚理由、子供がいるのか詳しく解説していきます。
1人目の配偶者:一般女性【1983年〜1986年】
玉置浩二さんの最初の配偶者は、彼の故郷である北海道出身の一般女性でした。二人は玉置さんがデビューする前から交際しており、1983年に結婚。しかし、結婚生活は長続きせず、1986年に離婚しています。
当時、玉置さんは25歳で、結婚相手も同じ北海道出身の一般女性でしたが名前や年齢や顔画像は残念ながらありませんでした。
出会いと馴れ初めは「デビュー前」
玉置浩二さんはデビュー前、故郷である北海道旭川に住んでいました。彼がまだ20歳前後だった頃、地元の旭川公会堂でライブ活動を行っており、チケット代はわずか500円だったと言われています。この時期に披露していた曲については多くの情報が残っていないものの、彼の初期の音楽活動の一環であったことがうかがえます。
また、この頃に彼は最初の配偶者と出会っていた可能性が非常に高いと考えられます。デビュー前からの交際が始まり、やがて結婚に至った二人は、玉置さんのキャリアが軌道に乗る以前から関係を築いていたのではと言われています。
その時の玉置浩二さんのライブの歌はこちら↓
今も変わらず素晴らしい歌声ですが、若い頃から才能はピカイチだったのですね。
離婚理由は不倫
この離婚の原因については、玉置浩二さんの不倫が関係していると言われています。
彼らが結婚した1983年には、玉置さんが在籍するバンド「安全地帯」が「ワインレッドの心」を大ヒットさせ、一気にスターダムにのし上がりました。
結婚後すぐに仕事で大成功を収めた玉置さんでしたが、その一方で私生活は安定せず、結婚生活はわずか3年で破綻。スターとしてのキャリアをスタートさせた1986年には、彼はすでに離婚を迎えていました。
この女性は、結婚した直後に玉置浩二さんが一躍成功を収めたことから「幸運をもたらす存在」とも言えるでしょう。しかし、仕事での成功とは裏腹に、彼の家庭生活は波乱を含んだものでした。
ちなみに不倫相手は2009年に事実婚相手となる石原真理子さんで、1986年9月に破局していることもわかっており、奥さんとの離婚後に別れたと言われています。
子供はいるのか?
調べてみると、最初の奥さんとの子供はいません。
2人目の配偶者:薬師丸ひろ子【1991年〜1998年】
引用:音楽ナタリー
玉置浩二さんの2人目の配偶者は、女優であり歌手としても活躍していた薬師丸ひろ子さんです。二人が結婚したのは1991年のことで、多くのメディアで話題になりました。
結婚当時の年齢は玉置浩二さんは33歳、薬師丸ひろ子さんは27歳。
- 名前:薬師丸ひろ子
- 生年月日:1964年6月9日 60歳
- 職業:歌手・女優
- 出身:東京都
玉置浩二さんは1986年に最初の妻と離婚。その後、約5年間は独身生活を送りました。離婚から1年後の1987年にはソロアーティストとしてデビューを果たし、音楽キャリアは順調に進展していきました。
そんな中、薬師丸ひろ子さんと再婚することとなり、1991年に結婚。
お気に入りのレコーディング場所の軽井沢にスタジオ併設のログハウスを建築して移住し、二人は共にアーティストとしての活動を続けながら、当時はおしどり夫婦として知られていました。
出会いと馴れ初めは「作曲したこと」
玉置浩二さんと薬師丸ひろ子さん馴れ初めは、1987年のことでした。玉置さんが薬師丸さんの楽曲「胸の振子」を作曲したことがきっかけで、二人は知り合い、その後交際に発展しました。この出会いから数年を経て、1991年に二人は結婚し、多くの人々から祝福されました。
やはり芸能人の馴れ初めは仕事関係で知り合った確率が高いですね。
結婚式はハワイのマウイ島で行われ、新婚旅行もハワイで過ごすなど、当時は夫婦円満に見えていた二人。玉置浩二さんは記者会見で、薬師丸ひろ子さんを「運命の女性」として称賛し、「どんなことがあっても最後まで一緒にいたい」と語っていました。
しかし、結婚から7年後の1998年6月、二人は突然の離婚を発表。その後、双方ともに新たな道を歩むこととなり、二人の関係は終わりを迎えました。
離婚理由は2つある
1998年6月、薬師丸ひろ子さんの34歳の誕生日パーティーが盛大に開かれました。会場は祝福ムードに包まれていましたが、パーティーの終盤で玉置浩二さんと薬師丸ひろ子さんが突然、離婚を発表しました。
玉置浩二さんは「今日で別れます」と述べ、
続いて薬師丸さんも「そういうことです。これから離婚届を出します」と語り、
会場は驚きと混乱に包まれたと言います。
楽しい誕生日パーティーが、まさに『離婚披露宴』となった瞬間でした。
この突然の発表は、多くの人々を驚かせましたが、二人は90年代にすでに「離婚式」のような形をとっていたことになります。
離婚の原因は2つあるそうで、玉置浩二さんのDVや薬師丸ひろ子さんの両親との不和が噂されましたが、真相については公には明かされていません。外見的にはおしどり夫婦として知られていた二人でしたが、家庭内では問題を抱えていたとも言われています。しかし、離婚後も二人の関係は決して険悪ではなく、今でも悪い仲ではないようです。
子供はいるのか?
玉置浩二さんの結婚生活の中で7年間という月日を過ごしましたが、玉置浩二さんと薬師丸ひろ子さんとの間に子供はいませんでした。
3人目の配偶者:安藤さと子【1999年〜2007年】
引用:killy.biz
玉置浩二さんの3人目の配偶者は、彼のバンド『安全地帯』でキーボード奏者として活躍していた安藤さと子さんです。二人は1999年に再婚を発表し、玉置さんにとって3度目の結婚となりました。
- 名前:安藤さと子
- 生年月日:1957年6月23日 67歳
- 職業:キーボード奏者(安全地帯)
- 出身:宮崎県
1998年に薬師丸ひろ子さんと離婚したわずか1年後、再婚に至った玉置さんですが、今回は長年の音楽活動を共にしてきた安藤さと子さんとの結婚でした。二人は音楽を通じて深い絆を築いており、安藤さんはキーボードミュージシャンとして『安全地帯』で玉置さんをサポートしてきました。
この結婚も音楽に深く結びついた関係であったことが特徴的です。
出会いと馴れ初めは「安全地帯」
玉置浩二さんと安藤さと子さんの馴れ初めは、1995年の安全地帯のツアーに安藤さんがキーボード奏者として参加したことがきっかけでした。お互いに音楽を通じて交流を深め、知り合ってから4年後の1999年に結婚を発表しました。
音楽という共通の情熱を持つ二人は、結婚後も仲睦まじい関係を続けていました。結婚から6年経った2005年には、スポーツ紙の取材に二人が手を繋いで登場し、玉置浩二さんは安藤さんを「一番の理解者」と称賛し、熱い視線を送っていたほどです。
しかし、その幸せそうな姿からわずか2年後、2007年に突然離婚を発表。音楽を通じて強い絆を築いていた二人でしたが、結婚生活は9年で幕を閉じることとなりました。
離婚理由は「仲良しの関係になるため」
公式の発表によると、玉置浩二さんと安藤さと子さんは「結婚してから8年の月日が経ち、二人の生活スタイルが異なるようになった」と説明しており、「仲良しでいるために選んだ道」として離婚を決めたと語っています。離婚理由については、二人の生活スタイルの違い、すなわち「価値観の違い」が主な要因とされています。
具体的には、玉置浩二さんが音楽中心の生活を続ける一方で、安藤さと子さんはより「普通の夫婦としての生活」を求めていたことが大きな原因とされました。結婚から約8年で、二人は話し合いの末に離婚という決断に至ったのです。
しかし、後に玉置浩二さんと結婚・離婚を経験した石原真理子さんは、暴露本の中で玉置さんと安藤さんの離婚理由にDVや不倫も関与していたと主張しています。公式には明かされなかった部分も、別の視点から語られています。
子供はいるのか?
玉置浩二さんと安藤さと子さんに子供はいません。
お互い婚約者と仕事仲間でもありましたので仕事優先だったのかもしれませんね。
4人目の配偶者:石原真理は事実婚【2009年】
引用:デイリースポーツ
玉置浩二さんの4人目の配偶者は、女優の石原真理子さんです。二人は過去に短期間交際していたことがあり、その後、再び復縁しました。
- 名前:石原真理
- 生年月日:1964年2月4日 60歳
- 職業:女優
- 出身:東京都
元不倫相手である恋人との復縁は入籍はせず事実婚になります。
出会いと馴れ初めは「不倫からの復縁」
1985年、玉置浩二さんと石原真理子さんの出会いは、玉置さんが石原さんに赤い下着を贈ったことがきっかけで始まりました。当時、玉置さんはまだ最初の妻と結婚していましたが、石原さんとは不倫関係に発展しました。しかし、1986年9月、玉置さんの暴力が原因で2人は別れることになります。
それから長い月日が経ち、2009年、2人は再び再会を果たします。なんと23年ぶりの再会でした。そして、わずか11日で電撃的に結婚へと進展しました。2人は半年ほど新婚旅行に出かけましたが、帰国後には再び破局してしまいます。
復縁のきっかけとなったのは、石原さんが2006年12月に出版した自伝『ふぞろいな秘密』です。この本で、彼女はかつての交際相手である玉置さんとの関係、そしてその中での不倫や暴力について明らかにしました。この本の出版を機に玉置さんが石原さんに連絡を取り、2人の関係が再燃したのです。
2人は事実婚状態にありましたが、2009年3月に新婚旅行に出発。その1ヶ月前に婚姻届を提出しようと試みたものの、受理されませんでした。このことが原因で新婚旅行中に言い争いが起こり、その後、2人の関係は悪化し、最終的に別れへと至ったのです。
離婚理由は「婚姻届を出せないから」
玉置浩二さんと石原真理子さんが事実婚を解消した背後には、石原さんの離婚手続きに問題がありました。石原さんは、2003年にアメリカ人男性と結婚し、2004年に離婚したとされていましたが、実際にはその離婚が法的に完了していなかったため、玉置さんとの婚姻届が受理されなかったのです。このことが、2人が事実婚状態に留まる原因となりました。
しかし、その後、玉置浩二さんは一方的に石原さんとの関係を断ち、青田典子さんとの交際を発表しました。この突然の展開に石原さんは驚きを隠せず、2人の関係は完全に途絶えてしまいました。
2009年2月に玉置さんと石原さんが婚姻届を提出した際に問題が発覚しました。石原さんが過去に結婚していたアメリカ人との離婚が正式に成立していなかったため、婚姻届が受理されず、これが破局の一因とされています。
一方、2009年8月には2人揃ってテレビ番組『スマスマ』に出演し、ラブラブな様子を見せていました。石原さんは「24時間一緒にいる」と発言し、当時は仲睦まじい姿が印象的でした。しかし、その1ヶ月後の9月には破局。離婚手続きの未完了が発覚していたことが明らかになりました。
破局後、玉置さんはすぐに青田典子さんと交際を開始し、石原さんはこれに対して強い不満を抱いていました。彼女は自身のブログで「一方的な別離」や「人として未解決なことがある」といったコメントを投稿し、怒りをあらわにしていました。
子供はいるのか?
破局理由が「一方的な別離」と石原真理子さんもおっしゃっているので、子供はいないです。
もし子供がいたなら、たとえ事実婚でも簡単に別れれるものではないですもんね。
5人目の配偶者:青田典子【2010年〜2024年10月08日現在も続く】
引用:青田典子のインスタグラム
- 名前:青田典子
- 生年月日:1967年10月7日 57歳
- 職業:タレント・女優・歌手
- 出身:愛媛県
玉置浩二さんの5人目の配偶者となったのは、女優の青田典子さんです。2人は2010年に結婚しました。玉置さんが石原真理子さんとの事実婚を解消して間もなく、次の恋人として青田さんとの関係をスタートさせました。
では、2人がどのようにして出会ったのでしょうか。
出会いと馴れ初めは「思い出し復縁」
実は、玉置浩二さんと青田典子さんの関係は、彼が最初の妻と離婚した翌年にすでに始まっていました。2人は当時、半年ほど交際していたのです。
青田さんがまだ20歳の頃、六本木のあるお店での出会いがきっかけでした。その日は冬の寒さが厳しい日で、玉置さんは彼女の冷えた手を自分のジャケットのポケットに入れたというロマンティックな行動で、2人の関係がスタートしました。しかし、交際はわずか3ヶ月で終わり、その後20年の月日が流れました。
それから20年以上が経ち、2009年のマイケル・ジャクソンの死でした。マイケルと同い年の玉置さんは「自分ももう一度頑張らなくては」と決意し、当時のバンドメンバーや青田さんに連絡を取ったのです。そして、20年ぶりに再会した2人は、過去の思い出を振り返りながら感極まって涙を流したそうです。この再会が復縁、そして結婚へと繋がっていったのです。
プロポーズは、玉置さんのツアー中の出来事でした。九州から羽田空港に向かう車の中で、彼は突然「ノリ、結婚しようか」と青田さんに告げました。青田さんは驚きながらも「いいよ」と即答。2人の結婚は周囲の芸能界関係者にも大きな衝撃を与えました。
地元旭川で結婚式をし、現在も婚姻中
玉置浩二さんと青田典子さんの結婚式は、入籍から1年後の2011年7月18日、北海道・旭川にあるフレンチレストラン「ハーヴェスト ロードハウス」で、80人のゲストを招待して行われました。この挙式での玉置さんは、一風変わった演出を行っています。わざと飛行機の到着を遅らせ、青田さんを先に式場に送り、ウェディングドレス姿で待たせたまま、玉置さんは式の直前に登場したのです。彼は「なんで遅れたかって? オレの演出に決まってるだろ。あたりまえに進行したらつまらないじゃない」と、彼らしいユーモアを込めた理由を語りました。
当時、2人の結婚に対しては「どうせすぐに離婚するだろう」といったネガティブな見方もありましたが、それはまったくの杞憂に終わりました。現在に至るまで、2人の関係は変わらずラブラブで、結婚生活はすでに10年以上に及んでいます。これは、玉置浩二さんのこれまでの結婚歴の中でも最も長いものであり、青田典子さんこそが玉置さんにとって「運命の女性」なのだと多くの人に認識されています。
子供はいるのか?
玉置浩二さんと青田典子さんの間には、子供はいないようです。2012年、玉置さんは自身が「無精子症」であることを公表し、それが2人の間に子供がいない理由とされています。
玉置さんは過去に「子供が好きだ」と語っており、青田さんとの間に子供が生まれることが期待されていました。しかし、長年にわたり妊娠や出産の報告がないことから、「夫婦仲が悪いのでは?」や「実は子供を隠しているのでは?」といった噂もささやかれました。
そんな中、青田さんが2012年にインタビューで玉置さんの無精子症について触れ、「無理に子作りすることはやめたの。もちろん子供ができたらうれしいけど、それよりも2人で仲良くいることを選んだ」と語っています。
玉置さん自身も子供を望んでいたようですが、2人は無理に子供を作ることを選ばず、自然な形での夫婦生活を大切にしてきたのです。現在も、2人は仲睦まじい関係を保っており、互いに寄り添いながら幸せな生活を送っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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