演歌歌手の山本譲二さんの国籍がどうやら韓国ではないか?という噂があるみたいなので、そのように言われる理由について解説していきます。
目次
山本譲二の国籍は日本人確定!
引用:山本譲二のブログ
まず最初に山本譲二さんの国籍は日本人であることは確定しています。
それは山本譲二さんの出身が山口県下関市出身だからです。
細かい実家の住所は公表されていませんが、出身小学校が『下関市立養治小学校』なので、その校区だと山口県下関市本町2丁目あたりに実家はあったと推測できます。
地図の場所を見てもらうとわかる通り、日本ですよね。
ではなぜ山本譲二さんの国籍が日本ではなく韓国籍であるという疑惑が出たのかその理由について徹底的に調べていきました。
山本譲二の国籍が韓国である疑惑や理由を徹底調べ!
ここからは山本譲二さんの国籍が韓国と疑惑はあるものの、なぜそのような噂になった理由や日本人であることを確定する情報についてまとめました。
- 在日韓国人に多い名前一覧
- 下関の一部は在日朝鮮人が多く住む場所
- 韓国人歌手から父親と言われたから
- 実家や両親、姉のこと
大きく分けてこの4つについてくわしく見ていきます。
在日韓国人に多い名前
引用:Yahoo!知恵袋
山本譲二さんの本名は「山本譲二(やまもとじょうじ)」で韓国人の名前ではありません。
在日や二世の人は日本語性の他に韓国性を持つ人も多いですよね。
私の友達も在日の人がいますので免許証など、証明書を見せてもらったことがあります。
在日に多いと言われている名前は「金田」「近藤」「安本」などが候補に挙げられます。
引用:名前由来net
名前一覧で調べても山本は出てきませんし、日本で7番目に多い名前で京都が由来の苗字だと判明しているので、山本譲二さんの本名から国籍が韓国であるという理由にはなりません。
また過去には「伊達春樹」という名前で活動したこと、
「琴五郎」というペンネームで作家としても活動していましたが、国籍が韓国である繋がりはありません。
下関市の一部は在日朝鮮人が多く住む場所
山本譲二さんの出身は最初に説明した通り、山口県下関市です。
だったら国籍は日本人だろ!と思うのが普通です。
しかし山口県下関市には昔から在日朝鮮人たちが暮らす地域があるのです。
その場所は『トングトンネ』という場所で、神田町、東神田町、西神田町、中央町の4つの地域を『大坪トンネ』と呼ばれているそうです。
詳しく説明しているyoutubeがあったので参考までに載せておきます。
山口県下関市にはこのような場所があったということで山本譲二さんの国籍が韓国ではないかという噂になったそうです。
実際に山本譲二さんの生まれ育った町の山口県下関市本町2丁目と神田町だと車で6分の距離ではあるものの、違うということはわかりました。
韓国人歌手から父親と言われたから
引用:zakzak
山本譲二さんは自身が運営する芸能事務所の「ジョージ・プロモーション」に所属していた韓国・釜山生まれ出身の演歌歌手のパク・ジュニョンさんという人がいます。
2012年から2021年まで事務所に所属していたのですが、その当時山本譲二さんのことを「アボジ(韓国語で父親)」と呼んでいたからです。
芸能界では第二の父の話などはよく聞く話ですし、パク・ジュニョンさんからすれば事務所の社長で、自分を有名になるまで成長させてくれたことがあるので父親と呼んでいたのでしょう。
実家の両親や姉から国籍を推測
山本譲二さんは4人家族です。
- 父親 山本武さん
- 母親 山本ハルエさん
- 姉 名前非公表
そして末っ子として山本譲二さんが生まれ4人家族で、家族の写真は残念ながらありませんでした。
結論からいうと、両親も国籍は日本で韓国ではありません。
ー山本譲二の妻や娘についてはこちらにまとめています↓ー
父親の山本武について
山本譲二さんの父親の山本武さんは山口県下関市でタクシー運転手として働いて、性格は厳しく「昭和の親父」そのものだったそうです。
子供の頃から父親に対して「怖い」という印象を持っていたそうですが、一緒に野球をやると父親が笑顔になってくれるのが嬉しくて、山本譲二さんは野球を始めたそうです。
厳しい人だったそうで、練習から帰ってきて疲れいるのに
「まだ風呂は入らんでええ、トスバッティング行ってこい」
と言われ夜遅くまで海岸でバッティング練習をさせられたと後に語っています。
そのスパルタな練習のおかげで野球強豪校の私立早鞆高校に進学し、3年性の夏には甲子園に出場し代打で内野安打を打っています。
母親の山本ハルエについて
山本譲二の母親の山本ハルエさんは、山本譲二さん曰く、美人で自慢の母親でした。
息子想いな母親だったこともわかっており、山本譲二さんが昔肝臓を壊して一度帰郷した際、「もう一度歌手を目指したら?」と背中を押してくれたことで再度上京して歌手を目指すことができたのだそうです。
1999年に父親が亡くなり、山本譲二さんが「一緒にすまないか」と誘ったが母親は下関で一人暮らしをしていました。
しかし母親が心配で山本譲二さんが月に1度は帰省していたそうです。
その後何度も帰り10年ほど経った2010年頃に母親の様子が少し変だなと感じ、料理の味付けも変わっていることことに山本譲二さんが気付き、おかしいと思い病院に連れていき検査しら結果、母親は認知症の病気だと判明。
その後2012年から老人ホームに入居し、2021年7月に老衰のため96歳で死去しました。
山本譲二の姉について
山本譲二さんの姉については詳しい情報が無く、どういった女性なのかわかっていません。
ただ1つだけわかっていることがあり、それは弟思いの姉だということです。
先ほど説明した通り、父親は厳しく練習で疲れても夜までトスバッティングをさせられていました。
その時練習に付き合ってくれたのが姉なのです。
山本譲二さんと姉は2人で海岸まで行き、姉が投げてくれる小石をボールに見立ててバットを振っていたというエピソードを明かしています。
いい家族ですね。
山本譲二さんの国籍についてここまで調べると、韓国人じゃなく、日本人であることは確定しているのではないかと思います。
生まれ育った町や弟子の演歌歌手が韓国人だからと言う理由で国籍が違うのではないかと噂になってしまうのは芸能人の性かもしれませんね。