山田五十鈴の遺産がヤバイ!晩年はホテル暮らしのセレブ生活だった

女優の山田五十鈴(やまだいすず)さんは4度の結婚と離婚をされています。

そして娘の瑳峨三智子(さがみちこ)さんがいます。

そんな中、95歳で亡くなった山田五十鈴さんの遺産がヤバイと言われていることや、晩年は帝国ホテルでセレブ生活だった理由などについて調べてみました。

 

山田五十鈴の遺産がヤバイ!


引用:日本経済新聞

山田五十鈴さんは1917年2月5日、大阪府大阪市南区千年町(現在の大阪市中央区東心斎橋)に生まれ、2012年7月9日に95歳で亡くなっています。

そんな山田五十鈴さんは1930年から2002年に活動休止するまでに出演した作品の数は143本以上です。

バブルの時期などもありますが、遺産とかもすごかったのではないかなと思ったのですが、あんまり情報がないようです。

ただ晩年は帝国ホテルを自宅代わりに使用していたということで、経済的にかなり裕福であったのは間違いないと思います。

今でこそ高級ホテルで1月の長期滞在プランで35万円〜70万円の料金で帝国ホテルで生活することができます。

山田五十鈴さんは1980年から2005年まで帝国ホテル暮らしでその金額を計算すると、

月70万円と仮定→25年生活→2億1000万円

となります。

これまで山田五十鈴さんが出演した作品数は143本以上です。

バブルの時期などもありますし、その当時は家賃は収入の3分の1なんて言葉もあったくらいですからおおよそで計算すると、山田五十鈴さんの資産は6億3000万円ほどはあったのではないかというのが個人的な予想です。

その資産の行方ですが、

  • 山田五十鈴さんは4度の結婚と離婚
  • 娘は1人おり、女優の嵯峨美智子さん
  • 嵯峨美智子さんは1991年に57歳の若さで亡くなっている
  • 娘の養育はほとんどせず母娘関係は良くなかった
  • 京都に娘と一緒に入る墓を作っていた
  • 帝国ホテル暮らし約2億円以上支出

上記の理由から、結果的に遺産を受け取る娘や旦那もいないですし、ほとんど残さず亡くなったのではないかと言われています。

 

山田五十鈴の晩年は帝国ホテル暮らしのセレブ生活だった


引用:帝国ホテル

山田五十鈴さんの晩年について簡単に時系列でまとめてみました。

  • 1980年:63歳の時に自宅を引き払い、東京の帝国ホテルで暮らす
  • 1993年:文化功労者
  • 2000年:女優として初めて文化勲章を受賞
  • 2002年:脳梗塞を発症し入院、リハビリ生活を送る
  • 2005年:東京都稲城市の病院に入院
  • 2012年7月9日:95歳で亡くなる

1980年に帝国ホテルで暮らした理由はお手伝いさんの必要もないし、ホテルは何かあった時に予備電源などもあり安全が保証されているからだそうです。

2002年に脳梗塞を発症し入院。

その後はホテルと病院を行き来しリハビリ生活を送っていたが、右半身の麻痺などの後遺症もあり、自力で歩き生活をすることが難しくなり、車椅子生活になりました。

2005年から亡くなる2012年7月9日まで東京都稲城市の病院で生活していた

山田五十鈴さんは芸能界でも数々の人物に慕われており、西郷輝彦さん、市村正親さん、高嶋政伸さん、榎木孝明さん、松井誠さんらに『第二の母』と呼ばれ慕われており『養子会』という会もあったくらいです。

そして葬儀にはその『養子会』のメンバーを含め600人以上の参列があったそうです。

山田五十鈴さんの晩年はホテル暮らしから文化勲章を受賞し、病気が発症し、最後は慕われた人に見守られ亡くなりました。

 

山田五十鈴は娘の瑳峨三智子について


引用:アメブロ

山田五十鈴さんの娘の瑳峨三智子のプロフィールはこちら↓

  • 本名:山田美和子さん
  • 生年月日:1935年3月1日生まれで、57歳の時に亡くなっている
  • 出身地:京都府京都市
  • 学歴:相模女子大学文学部中退し女優になる

娘の瑳峨三智子さんは結婚もしておらず孫もいません。

山田五十鈴さんは瑳峨三智子が生まれた1935年に俳優の月田一郎さんと結婚。

そして1940年に別居し、1942年には離婚しています。

その時、娘の瑳峨三智子さんは父親に引き取られ、以後女優としてデビューするまで母親と会うことがなかったようです。

 

2年の裁判で親権は父親になった


引用:楽天ブログ

母親の山田五十鈴さんは親権をめぐって裁判をするも、敗訴し、娘の瑳峨三智子さんは父親の元で育てられます。

離婚後、東京市世田谷区へ引っ越しますが、

1945年9月27日に父親の月田一郎さんがメチルアルコール中毒で急死したからは父方の祖父母のもとで育てられました。

 

娘の瑳峨三智子が10年ぶりの再会で「山田さん」と呼ぶ

娘の瑳峨三智子さんは5歳の時に別居し、7歳で母親の山田五十鈴さんと離れて以来、10年ぶりにデビュー直前に山田五十鈴さんの願いによって再会することができたのですが、

その時、瑳峨三智子さんは「お母さん」と呼ぶことなく、

「山田さん」と言ったそうです。

そのことで周囲は大変驚いたそうですが、瑳峨三智子さんなりに「山田さん」と呼んだ理由があったそうです。

 

「山田さん」と呼んだ理由


引用:映画ナタリー

娘の瑳峨三智子さんがなぜ母親のことを「山田さん」と呼んだのか。

それは娘曰く、

  • 公私混同を避けるため
  • 親の七光りとして見られることを嫌う意思表示

その理由を聞かなければ、離婚して子育てしてもらえなかった母親に対しての確執などと考えてしまうものですが、仕事に対してということで当時の周りにいるスタッフさんたちは驚いたそうです。

そして「山田さん」と言った娘に対して山田五十鈴さんも、

「女優という仕事は厳しいものです。華やかさに惹かれているなら大変な間違いです」

と諭したと聞きます。

それだけ大変な仕事だということでしょう。

そして1954年には『唐人お吉』で初の母子共演を果たし、その後も親子仲は悪くなかったそうです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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