宝塚歌劇団時代にみんなの憧れだった娘役で名女優の八千草薫さんは2019年10月24日に死因はすい臓がんにより88歳でなくなりました。
そんな八千草薫さんの国籍について見ていきましょう。
目次
八千草薫の国籍は日本人の可能性が高い!
引用:楽天ブログ
八千草薫さんの国籍が気になる人が多いようですので調べてみる、現在わかっている情報では日本人である可能性が高いです。
八千草薫さんの生まれは大阪で幼少期に父親を亡くし、母子家庭で育ちましたが、小学校2年生の時に兵庫県は六甲の祖父母の元に預けられます。
- 小学校:大阪市立聖和尋常小学校(現:大阪市聖和小学校)
- 中学校→高校:大阪府正和泉高等女学校(現:プール女学院)
- 高校在学中:宝塚音楽学校に入学
学歴から海外国籍だということは想像しにくいですね。
小学校は聖徳太子の名前から取ったものですし、中学・高校はイギリスの宣教師のチャールズ・F・ワレンが聖書の布教や学びなどで設立された学校です。
そのことから八千草薫さんのルーツはわかりません。
ただ八千草薫さんの本名の『松田』から判明した事実はありました。
本名『松田』から判明した事実
八千草薫さんの本名の『松田性』の起源について調べてみると、神奈川県相模国の足柄郡松田庄が起源(ルーツ)であることが判明しました。
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。藤原秀郷流があると言われています。
そこから現在の京都、兵庫、大阪などに子孫が生まれ、『松田性』が一番多い都道府県は大阪府となっております。
元々、大阪で生まれた八千草薫さんは起源通り、大阪府出身ですし国籍は『日本人説』の可能性が濃厚でしょう。
ただ中国籍の噂があるのも事実でして、その理由についても調べてみました。
中国籍だと噂された真相
引用:神戸新聞
候補として挙げられる『中国籍』だと言われる理由があります。
- 1957年の映画「雪国」が中国で人気で知名度があること
- 1975年のドラマ「赤い疑惑」で山口百恵の母親役を演じたこと
- 中国のニュースサイトで「理想の母親像」と説明されている
- 中国で八千草薫は「常緑樹」と表現されている
- その理由は「年を重ねても失わなかった若々しさの形容
- 2019年に亡くなった時には中国のニュースで取り上げられたこと
などの理由から実は国籍が中国なのでは?と噂されましたが、海外で活躍する、愛される日本人はたくさんいますし、八千草薫さんの女優としての活躍から噂になったことが真相のようですね。
個人的な結論とするならば『日本人』だと思います。
八千草薫の夫の谷口千吉は3度目の結婚だった
引用:日刊スポーツ
八千草薫さんは26歳の時に結婚しましたが、初婚です。
しかし夫の谷口千吉さんは3度目の結婚で、八千草さんはこの結婚について母親や周囲に猛反対されたのですが、反対を押し切って結婚します。
夫の谷口千吉さんの3度の結婚を時系列でまとめました↓
- 1938年12月:脚本家の水木洋子さんと結婚
- 1939年:スピード離婚
- 1949年:女優の若山セツ子さんと結婚
- 1956年:離婚
- 1957年:八千草薫さんと結婚
このようになっています。
2人の馴れ初めについて
1956年に『乱菊物語』で2人で出会い結婚したのですが、なんでも八千草薫さんのベタ惚れだったと語っています。
「それまで、監督は偉い人だからと緊張し、ほぼ話はできなかった。でも主人のときは本当に楽しくてね。
現場はユーモラスな会話が飛び交い、いつも笑っていた。主人は話し上手で明るい人。私のファンの方も、主人と話すと彼のファンになってしまう。」
かなりベタ惚れなことがわかりますね。
夫になる谷口さんからは一度、手紙で別れを切り出されたものの、会って話してみると「別れられなかった」と後に語っています。
引用:ピンタレスト
ただ当時の八千草薫さんは美貌と清純なイメージから「お嫁さんにしたい有名人」の常連だったのですが、不倫略奪婚と言われ、結婚後は1年ほど干されて「女優をやめよう」と思ったそうですが、その後復帰されます。
バツ2になった離婚理由は女性問題
過去に2度の離婚をしている夫は女性問題で離婚しているようです。
2度目に結婚した若山セツ子さんとの馴れ初めは1949年には初監督作品の『銀嶺の果て』の撮影現場で知り合い、交際し結婚しました。
しかしその後に1956年に『乱菊物語』の撮影で知り合った八千草薫さんと結婚しているのにも関わらず不適切な関係になり離婚に至ったようです。
あくまで噂ですが、八千草さんが、毎晩、奥さんに電話をかけては攻撃し、奥さんを精神的に追い詰めていったと言われています。
そうして夫に捨てられた形になった若山さんはそのことで精神が不安定になり、一時期女優を引退しました。
そんな女性問題を多く抱えた夫で、また同じことを繰り返すのではないかと世間に思われていたそうですが、2007年10月29日に95歳の時に谷口千吉さんが肺炎で亡くなるまで八千草薫さんと生涯を共に過ごしました。
八千草薫の子供がいない理由
引用:映画ドットコム
八千草薫さんは生涯、1人の男性と愛しましたが、子供はいませんでした。
1957年7月に19歳年上の映画監督の谷口千吉さんと結婚。
結婚当時の八千草薫さんの年齢は26歳、夫は45歳。
年齢的に子供を妊娠し、出産できたのですが、実は夫の体質によって子供ができにくなったそうです。
マラリアで子供ができにくくなった
引用:産経新聞
夫婦仲はとても良かったそうなのですが、監督がマラリアにかかったことがあったそうで、それが原因で子供ができにくかったそうです。
ただ、子供はいませんでしたが、犬やメダカを2人で育てたり、一緒に登山をしたりと、夫婦水入らずの時間を大切に過ごされていたようです。
いろんな夫婦の形がありますから、子供はいなくても2人で幸せに生活できていればいいですよね。